日芸。

nichigei
ふと思い立ち、母校である日芸の江古田校舎に行ってみた。大学を卒業して以来、一度も来ることはなかったから、きっとノスタルジックな気持ちになって感極まっちゃったりするんだろうなと期待に胸をふくらませた。しかし、正門の前まで来てその夢は打ち砕かれた。旧校舎に通った私にとってゴージャスな新校舎の「コレジャナイ感」は凄まじかった。車で行ったため、江古田駅からの通い慣れた道ではなく、ちょっと離れた駐車場から向かったことで方向感覚がおかしくなり、目の前の正門っぽい場所が本当に正門かもわからないことに動揺した。そして、少しでも懐かしくなれる場所を探してまわるという予定外の捜索がはじまった。休日だったし、卒業生だからって自由に出入りできるわけではないし(しかもワンコ連れ)、校舎内はほとんど観られなかったけど、外壁越しに懐かしい建物を見つけた。「音棟」だ。ここは楽器を練習するための建物でピアノが何台も設置されていた。やっと出会えた知ってる建物をぼんやりと眺めていると、アラジンの「A Whole New World」を演奏するトランペットの音が漏れ聞こえた。なんだかジーンとした。見知らぬ後輩よ、なんというベストチョイス。美しい調べをありがとう。大学が3つもある街のわりには簡素なイメージの江古田駅だったけど、改装したらしく綺麗でそこそこ大きな規模になっていた。でも、なぜだろう。そこはかとなく漂う懐かしの江古田感。変わったはずなのに懐かしかった。駅前のライブハウス「BUDDY」もまだあった。ここでライブをしたわけでも、通っていたわけでもないけれど、なんだか嬉しかったよ。これからもずっとそこにいてね、BUDDY。

あの頃があっていまがある。人生は必然のつながりでできている。うれしいことも、うれしくないことも、たのしいことも、たのしくないことも、覚えていたいことも、忘れてしまいたいことも、すべてには意味がある。あの頃があって、いまの私がある。そういえば、「日芸に合格したよ」と父に言ったとき、第一声「遠いじゃん」と言われた。「そこは”おめでとう”じゃないんかーい」と思ったけど、横浜の実家から日芸は確かに遠いし(しかも1〜2年は所沢校舎)、決して間違った反応ではなかった。きっとすこし、寂しかったんだと思う。でも、応援してくれた。私がどんな選択をしても、応援してくれた。昨日は父の命日だった。父が亡くなってもう5年の月日が流れた。親不孝者の私だけれど、いまはなにをしていても思う。あのときがあったから、いまがある。”あのとき”は大学時代とは限らない。いろんな”あのとき”が、いまの私を生かしてくれている。ひとはひとりでは生きていけない。感謝しかない。

Karin